感想は自由だ。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

 この作品の感想*1に対するブコメに対してのtwitterでの梅田望夫氏のコメント。→Mochio Umeda on Twitter: "はてな取締役であるという立場を離れて言う。はてぶのコメントには、バカなものが本当に多すぎる。本を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている本を読まずに、批判コメントや自分の意見を書く気が起きるのだろう。そこがまったく理解不明だ。"
 最初に読んだ時には本当に梅田さんが書いたのかな、と思うようなコメントだけども、梅田さんが書いたことを前提として書いてみる。ま、twitterで偽物に釣られるというのは想像するだけで馬鹿すぎる話なので、おそらく本物なのでしょう。
 いうまでもないことだけど、感想を書くのは自由だし、どんな感想を持とうが自由だし、感想の形式をどういうものにしようが自由。本当にその作品が好きで、好きでたまらないことを伝えようが、その作品を誰かに読ませるために書こうが、作品の感想という手段を使って持論を展開しようが、ネタ的に使って笑わせようが、その本を読み込めているか、読めこめていないかの違いがあったとしても、それは自由。
 今回の梅田さんの「日本語が亡びるとき」の感想は作品を紹介しつつ、持論を交えるという手法を採用している。dan kogaiなんかもこういう手法で感想を書くことが多いだけども、梅田さんやdanさんに限らず、単純な書評ブログとして完結する気のないアルファブロガーはこういう手法をとることが多いように思う。
 この場合、書籍の紹介よりも自論の展開に重きをおかれてしまうので、ブクマでそちらに反応してコメントされるのは仕方ない。特にうちみたいな三下のブロガーではなく、梅田さんみたいなアルファブロガーならば。その辺りのバランスの保ちかたはdanさんは上手い*2んだけれども、梅田さんはそこまで上手くない模様。
 作品を読ませるための釣りの部分もあるし、身内の多いtwitterならではのガチの部分もあるだろうけれども、本を読まずに反論するなという言論封鎖的な発言をするのはどうかと思う。
 これが小説ならばまだわかるが*3、評論、しかも今回の作品の内容の場合、読まずとも一定の意見を述べることは容易な内容で意見を述べるなはあまりにも酷い。あの内容ならば類書は数あるはずで、そこにオリジナルの部分があり、そこを読み取ってほしいのならば、それを伝えきれなかった自分を恥じるべきではないか*4
 更にいえば、版元が筑摩書房という最大手ではないことから市場に流通している数もそれほど多くなく、発売してすぐであることから読者も少ないことが簡単に推測できる*5。そんな状態で、きちんと読んだ上でのみ意見を求めるのはあまりにも酷だ。
 まぁ、梅田さんのtwitterコメ自体、私みたいな人間を呼び起こす釣りの側面がかなり大きいのは認識していたのだけれども、元感想屋の身からするとどうしても脊髄反射せざるを得なかったので書いてみた。読まずに書くなという梅田望夫と、感想を批判するブコメの両方が気に食わなかったのよ。
 
 ここからは長大な余談だけど、おそらく本の内容は単純に日本語がなくなって、英語になるよん。じゃあ、日本語なくなっちゃうじゃん、たいへーん。みたいな話じゃなくて、言葉というのは人間の思考みたいなところに直結するものだし、これまで何百年もつちかわれた日本の歴史をもっとも体現しているのが言葉だから、それが英語につちかわれることで、誰も彼も英語思考型人間になっちまってつまんねー。っていう話なのだとおもう(あくまで予想ね)。
 I have no pen.を直訳すると、「私は無いペンを持っています」という表現になるけど、これは日本語的におかしい。けど、英語的には正しいのはそれは文化が違うからとしかいいようがない。日本語には無いペンを持つという思考がない。英語にはある。
 ちなみに、英語の日本語侵食みたいな話は明治時代に既にはじまっていて、私たちが日頃使っている「自由」とか「社会」という言葉は、それまでの時代にはなくて明治に英語が入ってきて、それを訳すときにいい日本語がねぇぞってことで、新しく生み出された言葉らしい。
 つまり、現在使っている自由とか、社会みたいな思想はそれまでの日本の文化にはなかった。だけれども、英語が出てきたことで、日本の文化に「自由」や「社会」という文化ができて、「自由」や「社会」がない*6文化が廃れてしまったことになる。
 今後はそれが広まっていって、日本語がこれまでつちかって、育んできた文化がなくなるということではないかと思う。それは日本語を書いたり、話したりできればいいという問題でもなく、自動翻訳があれば云々の問題でもない。
 と、これくらい作品を読まなくても書けるわけよね。無論、作品の内容はまったく違う可能性が高いけれども、別にどうでもいい。こういう風に自分の意見を出して、それが本を読んで意識を変えられるのが読書の楽しみなんだもの。さぁて、amazon.co.jpには既に注文したし、読むのが楽しみだぁ。

*1:http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20081107/p1

*2:序盤で紹介し、中盤で自論を展開、終盤に再度作品の意見を取り上げて終わり→それを読んだ読者には最終的に作品の意見が脳内に残りやすくなり、反論されにくくなる。

*3:小説の場合、単純なプロットだけ把握していたとしても、文章の運びや細かいニュアンスで印象ががらりと変わる為、風聞だけでは捉えきれないことが多い。

*4:ちなみに、この作品のdanさんの感想はそのオリジナルであるという部分を紹介することに特化したもの。danさんの場合、梅田さんの感想を受けて感想を書いていることから、梅田さんの感想をフォローという面も高い。

*5:その証拠にamazon.co.jp配送センターの在庫は既に切れて、取次経由で注文する状態になっている(11/9時点)。

*6:自由であるという意識がないだけで、不自由ではないことに注意。わかりやすくいえば、不自由なことがあっても、それは当然のことで意識するようなことではないみたいなことかと。明治時代までの自由という言葉は今のニュアンスよりも、自分勝手という意味が強かったとどこかで読んだ記憶がある。