なぜ「笹の葉ラプソディ」はSF的に問題がないのかを、わかりやすく説明してみる

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新作ハルヒを観たので、割と説明している人が多そうだけれども、SFに馴染みのない人でもわかりやすいように、「笹の葉ラプソディ」と他のタイムトラベルものとどう違うから問題ないのかを説明してみる。
 
 ここでキーワードになるのは、「タイムパラドックス」(時間改変)という言葉。以下、Wikiより。

タイムトラベルに伴う矛盾や変化のことであり、物語のテーマとしてしばしば扱われる。具体的には、時間旅行した過去で現代(相対的未来)に存在する事象を改変した場合、その事象における過去と現代の存在や状況、因果関係の不一致という逆説が生じることに着目したものである。

 多くの時間旅行ものや時間跳躍ものはここが肝になる。要するに主人公が過去に飛んだ。好き勝手しました。過去に影響を与えて、未来が変わってしまった。これでは現実が変化し、問題が発生してしまう(主人公(もしくは家族、恋人、歴史的人物)が生まれなくなってしまう、歴史が変化してしまうなど)。
 
 じゃあなんで「笹の葉ラプソディ」は問題がないのか。それはキョンとみくるが過去(及び現在)に影響を与えていないから
 キョンとみくるは中一のハルヒに会い、会話をし、手伝いをしたが、このときのハルヒがしるはずのないことを教えていない。このことが現在のハルヒに多大な影響を与えてはいるものの、それは(過去に行く前の)現在のハルヒに実際にあったことであり、時間的な矛盾は発生していない。
 
 例えば、ここでキョンが「おまえは将来北高に入って、SOS団というわけのわからん団体をつくるんだ」などとほざいてしまえば、タイムパラドックスになるので、見事にアウト。
 こういうタイムトラベル系の作品で本人に会うとやばい系の発言があるが、それは過去の自分は将来の自分がタイムトラベルでこちらに来ることをしらないのに、会ってしまえば将来が変わってしまうからアウトということ。
 上のリンクでキョンが二人いることになるのは問題では?という質問があったけれども、当人に直接会ったり、家族や友人に危険な発言をしなければ問題ない。
 同じ人が同じところに二人いるというのは変な感じかもしれないけれども、片方が片方のクローンと考えればわかりやすいかも。考えていることや経験値は違うけれども、人物としては同じ人みたいな。
 ここは長門の部屋で寝ている部分に関しても同じ。時間軸に影響を及ぼしていないから二人いても問題ない。
 
 ちなみに長門の部屋でキョンとみくるが寝た部分についてはあの部屋だけ極端に温度を下げて、成長を止めて、3年間過ごしたという認識でも問題ないかと。SF的にはあの部屋だけ時間軸から外して(時間を止めて)3年間過ごした=3年分のタイムトラベルをしたという認識が欲しいところ。
 
 こんなところですか。タイムトラベルはSF的には基礎なので、SFを読むならば理解したい。ハルヒもここからタイムトラベル系のいろいろが出てくるみたいだしなぁ。楽しみだ。